古代兵器格納庫

過去の遺物

魔法と作品と僕の話

 

人は作品に触れる時にどうしても作り手を意識して考えてしまうんだ。

 

 

 

当然、僕だってそうだ。

 

 

 

天気の子を観てきた。もちろんここで感想を述べるとネタバレの地雷原でしかなくなるのでその話はしない。ただ、作品を味わえば味わうほど自分が過去の新海誠に縛られていることに気付いた。これは新海誠の手掛けた映画で、今までの新海誠と比較しながら観ることができてしまう。

 

 

そして僕はそれをしていた。

 

 

別に良い悪いの話がしたい訳じゃない。1人の人間が世に産み落とした作品を分析し、その人に想いを馳せることが悪いんじゃない。昔からのファンが彼は変わったと言うのだって新参者のファンに対して彼の過去作は云々と語るのだってどうでもいい。好きにしてくれて構わない。ただ、一度でも僕達受け手の心に作品を刺した作り手の魔法について話したいだけなんだ。

 

最初に書いたように僕達は作品に触れ、対話する時にどうしても作り手についても考えてしまう。心に刺さった作品を過去に産み出している作り手のことは考えずには居られない。恋のように。僕達は作品を通して作り手と繋がった気になる。

 

でも、それは義務教育中からやってきたことであり悪いことではないのだろうけれども、作り手の心情を読み取るのは大事なことなのだろうけれども、すごく勿体無く感じてしまう。どうしようもなく悲しい気分になる。

 

作品を鑑賞してるのにどうしてその向こう側を考えてしまうのか。作品を作品として観られなくなった自分が嫌になる。

 

良い作品に出会ってしまうと僕達はその作り手の次回作を楽しみにする。期待する。期待し続ける。彼がどう変わろうとも、変わらずとも。初めて心に刺さった時に味わった感情を求めて。まるで魔法にかかったように。

 

 

この魔法に踊らされない為には作り手を知らないまま作品に触れるか、知らない作り手の作品に挑むしかない。そして前者は情報社会においてはほぼ不可能と言ってもいい。そもそも作り手が誰か知らないとその作品に触れることすらしないかもしれない。魔法にかかっているから作品に触り、魔法を恨んでしまうのだ。自分でも難儀な奴だと思う。

 

 

 

 

 

僕が作り手を知らなさそうな作品を募集してます。僕が好きそうなものがいいです。漫画、小説、映像作品どれでも構いません。また新しい魔法にかかりたいので。

 

作品単体で味わえるものを募集する為に今回ブログ書いたんでどうかよろしくお願いします。